「青葉のテーマ」が泣けるワケ。

最近、ヘビーローテーションジンキの「青葉のテーマ」を聴き続けている。泣けるのがわかっていてこれだけ聴き続けているということは、自虐行為なんだろうかとも思えてくる。
ふと思った。「青葉のテーマ」は“泣ける”のではなく、“泣かされている”のではないか、と。川井憲次の計画的犯行、というとこではないのだろうか??
主旋律はハーモニカ。もともとハーモニカの音色というのはかなり切ない。加えて川井さんの描くメロディというのはエグいほど切ない。この曲はサビがAメロで、構成はA・A’・B。Bはサビより控えめで迷走的な“溜め”の部分。サビに帰る前に繋ぎの必殺同音連打を挟み、“溜め”が解放される。更に主旋律はストリングスにチェンジ。しかも1オクターブ高い進行だ。“溜め”を最大限に活かした演出。高音ストリングスというものは、かなりの悲壮感を醸し出す。この部分で一気に涙腺を刺激するよう巧みに設計されているように感じられる。自分はこのストリングスの導入部分である最初の二音を聴いただけでもう心はボロボロになってしまうのだ。序盤の主旋律を控えめなハーモニカに託すこと自体、このストリングスによる解放への“溜め”だったのではないだろうか。
しかし。
川井さんはたぶん「そんなに細かいこと考えてないですYo!」とか言い放ちそうだ。実際そうなのかもしれない。凡人があれこれとロジックで考えることを感覚的に実行できる、それが“天才”と呼ばれる由縁……とかゆー褒め方をすると川井さんは嫌がるので、「凄いっすよ! 泣けるっすよ!」ぐらいで止めておくのがよいのではないか、と。そんなことを考えつつまた「青葉のテーマ」に涙する今日この頃。